2003年3月12日(水) 「上昇志向」と「卑近な欲望」と「反戦」と

 

セリグMLBコミッショナーが 
「開戦ならMLB日本開幕戦中止示唆」ってな 
見出しを見た時点で、「反戦」に回ることにした。 
「ばかやろーおれの買ったチケットをどうしてくれるー」 
ってなもんだ。ま、しかしべつに反戦運動に加わるつもりはない。 
「生活」が先だからな。やるよりはやらないほうがいいんだろうな、 
くらいなものだ。「庶民烈伝」という本で、深沢七郎という人が 
あらゆる「上昇志向」を「異常神経」と断じている。というより、 
おちょくっている。べつにスマップが唄わなくても、 
「この世が皆馬鹿ばかりなら戦争は起こらない」と 
昔のスクリューボールコメディーで、ハリウッドの巨乳女優が高らかに 
唄っていた。「馬鹿万歳」ってなものだ。 
が、しかしやっかいなのは、「馬鹿」の存在は企業社会で許されなくなりまくり 
ってところか。給与所得者はこれから「馬鹿」のレッテルは今までよりまずい。 
というか実際、馬鹿が周囲にいると迷惑なのは確かだ。 
「おまえは馬鹿の管理能力に欠ける」とかなんとか言い出して、 
ちょっとでも待遇改悪に動き出すからな。ということは 
「私は馬鹿の存在を許すことなく、常々上昇志向を持ちつづけて 
 職務に邁進するものであります」という態度を明白に示し続けなければ 
ならないわけだ。が、しかし「上昇志向のない馬鹿」ってのは 
ある意味「癒し」につながる部分もある。なにしろ馬鹿を肴に笑う酒席は 
楽しい。やっかいなのは「馬鹿でしかも上昇志向も有する」ってやつだな。 
したがって「この世が皆馬鹿ばかりなら戦争は起こらない」ってのは 
ちょっと牧歌的に過ぎるのだろう。 
どの世代から始まったことかよくは知らないが、 
世界の北野武監督がおっしゃるように、 
「生徒会長やクラス委員に自らなりたがるやつは大概馬鹿」という現実がある。 
実際、「じゃ民主的に選ぼう」とか担任が宣言すると、示し合わせて 
政治能力ゼロのやつもしくは不登校でその場にいないやつの名前を書いて、 
投票結果に大笑いするってなことは自分の学生時代の年中行事ですらあった。 
で、担任もそれを機械的に受け「やっぱ私が決めます、OOさんやってください。」とか言い、指名された者は苦虫を噛み潰した表情になり、それを皆が 
「予定調和」と受け止めるってな構図だ。 
さて脈略がどんどんなくなってきた。 
問題を絞ろう。「上昇志向を有する馬鹿」からいかに身を守るか? 
ってことだが、これは理屈と感情の両面から説き伏せるしかないのだろう。 
だいたいこの手合いはむやみやたらと「アツい。」 
したがってやつの言うことに速攻で反論するのは拙い。 
「ああ、馬鹿がまたなんか言ってる」と感じたら、 
「重く真剣に受け止める」表情で黙り込む。 
あとは、質量の法則とか、同一空間に二つの存在は無理、みたいなことを 
無理強いしない雰囲気で進言してゆくだけだ。 
ははは、これだと「アツい」閣僚と対峙する官僚とあまり変わらないな。 
ま、いいやなんでも。 
とにかくおれとしては、 
「食う寝る住む」って部分と、 
「松井見てえー」とか「スロットで5万勝ちてえー」とか 
「おらおら酒だ酒ー」ってな「卑近な欲望」の充足のみを 
当面重視する。それを邪魔するもんが現れたら、まあ 
「戦う」ことにやぶさかでない、って感じか。 
「高邁な理想」なぞ、信じない。 
そのうえで野球を邪魔する戦争には反対する。 
「快楽」を妨げるものを憎む。 

このブログの人気の投稿

2003年2月18日(火) 乱雑の極み

2003年2月17日(月) 披露困憊