2003年3月16日(日) 「おれの血はそいつで出来てる」

 

ブランキージェットシティーの「小さな恋のメロディー」の一節だ。 
で、「ゆくあてはないけど、ここにはいたくない」ってゆうサビの部分も 
けっこう好きだな。さっきまでフジテレビに浅井健一が出ていたのだ。 
ま、それはそれとして自分に「おれの血はそいつで出来てる」と言わしめるもの 
があるとするなら、それは間違いなく谷岡ヤスジだ。否「谷岡ヤスジ先生」だ。 
おれが、心の底から「先生」と呼びたい、呼ばせてください、と 
思えるのはヤスジ先生と、あと小六の時のサカイ先生くらいだ。 
我が家には、おそらく日本国中でも指折り、と言えるほど、 
先生の単行本がある。まさに家宝である。なにしろ2003年現在、 
先生の本の流通量は圧倒的に少ない。「2000ページ」は読み倒しすぎて、 
いまにもバラけそうだ。つくづく2冊買っとけばよかった、と思う。 
しかし、これほどまでの唯一無二の存在なのに、死後の扱われ方が 
まだまだ全然さびしい限りなのは、いかがなものかと思うのだ。 
落合記念館も松井秀喜の館もあっていいとは思う。 
湯河原には西村京太郎ミステリーの館もある。 
グラスの底に顔があってもいいように、谷岡ヤスジ記念館があっても 
いいじゃないか、というより、あらねばならぬ。 
いや、「記念館」なんてなまぬるいものじゃなくて、 
「谷岡ワールド」とか国家事業として作るべきなのだ。 
自分は淡白な人間なような気もしないではないが、この件については別だ。 
非政府組織とか立ち上げてくれれれば、一も二もなく協力する。 
金も出す。え、じゃおまえがやれよ?って。 
いや、ちょっと自分には荷が重過ぎるし、金だすっても、 
まあせいぜいいまのところ、年間でデーマンゲーセンくらいかな。 
ほんとに見込みがある、という確信が持てるなら。 
てゆうか、奥田民生とか、お金もってそうな人に頼んでくれ。 
その他先生をトリビュートしたりした芸能関係、文化人関係者の 
うち、だれかがそのうちやってくれるかもしれないし。 
もし、自分が年金生活者になっても誰もやってなかったら、 
重い腰をあげることにしよう。と、マジで思っている。 

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