2003年3月4日(火) 宮脇俊三死す

 

コラムのところで、清水の舞台から飛び降りるくらいな気持ちで、 
「鉄ちゃん」だった過去を明かした途端にこれだ。 
が、しかし実は宮脇俊三の存在を知ったのは、つい5,6年前のことだ。 
どっか民放の深夜番組で、特集してたのを見た。 
というか、それを見て「ああ、そういえば、餓鬼の頃好きだったなあ」 
と思い、再燃したわけだ。 
なので、心にぽっかり穴が開いた、というほどのことはない。 
ああ、そうか。お亡くなりになられたか。といった感じか。 
しかし、そのような、どうでもいい感じ、ってのが、 
宮脇俊三の真骨頂なのだと思う。おおげさに哀悼の意を表されては、 
彼もとっても迷惑なんじゃないかって気がする。 
全国最長片道切符の旅、とかよくよく考えてみると、 
シュールとかダダの領域だ。で、それが?といわれりゃそれまでの世界。 
そういえば、湯河原近辺は「鉄系」の人々にはたまらない、 
みたいなスポットがけっこうある。実はそのあたり、 
思いのほか自分もこの地に馴染んでいる要因なのかも、 
といま、ふと改めて意識させられた。 
昔の東海道線と今の東海道線が分かれるポイントの 
国府津と沼津が、そう遠くはない距離にあるし、 
難工事で歴史に名を刻んだ丹那トンネルもほど近く、 
根府川は撮影名所だ。というかなにしろ、 
早川ー根府川ー真鶴間は東海道線屈指の車窓風景だし。 
と、いうことで、実は根府川付近を散策しようしよう、と 
密かにわくわくしている今日この頃なのだった。 

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