2003年3月9日(日) マイケル再び

 

マイケルジャクソンの反論番組も見ちゃったよ。 
予約録画のビデオで。ま、内容はどうでもいいとして、 
さすがに財力があるといわれっぱなしでは終わらずに済むのだなー 
ということに感心した。司会のデーブスペクターも言ってたが。 
なんというか記者のほうの手練手管については、まあそう 
驚くほどのことではない。二枚舌で信用させといて、持ち上げて、 
そのあとズドンと落とすってのもありがちな話で、ある意味 
確信犯なわけだ。その世界じゃ日常茶飯事なのだろうとすら思う。 
おれが思ったのは全く別のことだ。過去、おれの周囲で2度ほど 
いわゆる「マスコミ沙汰」ってやつが起こった。ひとつは全国ネットの 
テレビニュースになり、もうひとつはまあ週刊誌レベルのちょっとした 
ゴシップネタか。共通するのはどちらもマイケルジャクソンのような 
知名度はない人間で、いまではほとんど当事者以外誰もそのことは 
覚えていないってゆうくらいな程度の事件、ゴシップだったってところか。 
これくらいのレベルだと当然書かれたり、言われたりした側はなんの反論の 
機会もない。当時は「報道被害」という用語もなかったはずだ。 
さすがによく見知った者がネタになっていたので、おれは当時それらのもの 
をかなり細かいところまで、読んだり見たりした。 
結論からいうと、それらの「報道」と称する諸々のものは、 
はたして「仕事」と呼べる価値があるのかどうか甚だ疑問、つーか 
アホか。というよりガキの使いか?みたいな印象だったわけだ。 
ま、もともとお上のゆうことはだいたい端から疑う、という習性は 
持ち合わせていたので、マスコミってアホなんじゃないか、とは 
うすうす感づいてはいたのだ。それがこの2度の出来事で完全に 
確信に変わったわけだ。こいつらは底なしだ。ってことに。 
別にそのことに青臭く憤るつもりもない。もともと誰に頼まれたわけでもない 
のに、おせっかいにも人様にものごとを知らしめてやろう、ってなこと 
自体が、「ずさんな仕事」しまくりマシーンなのだからな。 
せめてすこしでも「ずさん」な部分を減らしてやろう、という 
心意気の持ち主もいるであろう。ま、しかし、なにがしかの 
人の寄り集まりがあった場合、2割が優秀、6割普通、2割困ったちゃん、 
ってゆうふうになるってブッシュを生んだ神の国アメリカの学者が 
唱えたらしいが、日本国の報道にこれをあてはめると、「優秀」ってのは 
たぶん0.5割くらいだろうと思う。さてそこでまた思い出す人物がいる。 
キングカズではないほうの三浦和義だ。ついにシャバに出てきたという新聞記事 
を見た。写真も載ってた。白髪まじりで非常に渋い表情になってた。 
これは要するに、あれだけ大騒ぎした疑惑の銃弾とやらが、 
「冤罪」だったという判断がくだったってことである。 
ほんとにそうなのかどうかはよくわからん。ただ、「ずさん」な側が 
負けた、ということだろう。この不況の時代、ずさんな仕事をすれば 
即失職だ。ほぼどんな業界でも。報道関係ははたして例外でありつづけるのか。 

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