2003年4月18日(金) ドットとドラムでけっこう。

 

と高3の時からパチンコやってたおれなんかは思う。 
しかしそれでは最早通用しない。 
そんなショボイ盤面じゃ大多数の客は見向きもしない。 
「羽モノ」もかったるくてやってられないってところか。 
一ジャンルとしてのパチンコの全盛期は、 
1990年頃だったように思う。 
羽モノ、セブン機、権利モノ、アレパチ、電役、一発台、 
とゆう感じで、「種別」のバラエティーに富んでいた。 
それがいまやセブン機のみに近い状態だからな。それもCRの。 
江戸幕府以下の行政が自己都合で文化的なひとつの領域を 
荒廃させつづけたわけだ。 
純粋な知恵とか創意工夫とかいったような、 
クリエイティビティーっつーものが、 
最早メーカーの開発部門にはない、というか 
あっても使い道がない。 
歴史的に見ても、人類が、なにか特定のジャンルの 
「進歩」とか「発展」とかいうものを自らの手で 
退行に向かわせた特異なケースなのだ。 
今おれが、うわーこれ考えたやつってマジですげー 
と最もしみじみ感じるのは羽モノの「ローリングマシーン」って機械だ。 
特にそればかり打ってたわけではないが、 
今にして思えばあの役物の動きとかは、 
想像を絶する繊細さだった。しかもそれが色物として 
終わることなく、普通に打てた。 
 
羽モノの役物っつーのは 
まあ3次元の世界だから、ある意味「アナクロ」ではある。 
が、しかし5g、直径11ミリの球体をどのように 
物理的に運動させるかってゆうことの可能性は 
無限であったはずだ。 
それを追求すること自体が現在「無駄」な労苦に終わるような 
世の中の仕組みになっている。 
 
ま、おれひとりが騒いだところで 
どうなるわけでもないし、 
実際いま営業に携わっている者の実感としては、 
特に「羽モノ」やらその他現金機やら、 
店に置きたいとも思わない。 
 
「文化的に」どーたらこーたら 
なんてのは、また別の話だからな。 
 
行政のさじ加減ひとつで 
どうにでも転ぶ業界なので、 
また再びかつてのような「多様性」が 
戻ることもあるかもしれない。 
 
そうなったときに 
はたしてあのときのように 
猿のように、明けても暮れても 
パチンコって日々を過ごすのだろうか。 
 
なんかそうならないような気がする。 
 
つまらなくなってやめてた間に 
べつに他にいくらでも面白いことあるじゃん 
ってことに気づいちゃったからな。 
 
ま、しかし 
新海物語には素直に感謝しよう。 
おれは特にどうとは思わないが、 
まさに天の恵みのような機械だ。 
 
店の営業に携わっているからといって 
特に指南することとか、助言とか 
そんなようなものはなにもない。 
 
自分の人生を破綻させることなく 
適当に勝ったり負けたりしてください。 
、としか言いようがないんだよね。 
ほんとに。 

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