2003年4月27日(日) 桃太郎の桃が割れて娘泣く。

 

ま、きのうの話なんだけど、 
大体、先に妻子が寝て、 
自分はその間、ここの更新やったり、 
ヘッドホン付けてピアノに向かったり、 
ってパターンなんすよ。 
平和な場合は、 
「ぞうさん」とか 
「ゆりかご」とか 
の歌声が聞こえてきて、 
そのうち静かになるわけです。 
そうでない場合は、なんかぐずりだすわけ。 
きのうは「桃太郎」の桃が割れるのが、 
どうにもこうにも気に入らないらしく、 
大泣きっす。 
ま、自分も幼少の頃は、こう見えて 
「感受性が強い」とかなんとか言われたものです。 
小学校の通知表の備考欄に、その手のことを 
担任に書かれたりもしました。 
いまじゃ、「感受性?いらん。欲しい奴いたらやるよ。」 
みたいなもんで、 
考えてみりゃ、作る歌の詞なんかも 
できるだけ「感受性」の強い感じの全然しない、 
繊細さもナイーブさもかけらもないものに、 
あえてしがちになるのでした。 
大体マーキーに出始めて、しばらくして 
一時ちょっとしたバンド形式でやってたことも 
あるんですが、そのときの基本コンセプトは 
「ターゲットは漫ゴラの読者層」ってことでしたからね。 
漫ゴラってのは漫画ゴラクのことですね。 
ま、そのへんいまでもあんまし変わってませんが、 
こうゆう考え方ですと、 
最初から「大手のやらない隙間ねらい」ってことですんで、 
正直、絶対「万人受け」しません。 
そんときゃ、とにかく「死んでもナイーブ光線を放つことはしない」 
というような、ちょっとした頑なさみたいなのも 
あったような気がしますな。 
いまはもうそうゆう「こだわり」も全然ないんですけどね。 
完全に成り行きまかせっす。 
 
ってなことで、娘は 
川に葉っぱを浮かべて 
それがすーっと流れていって 
滝っぽくなってるところに 
吸い込まれていったのを 
見ただけで、 
30分「大泣き」してたことも 
あったのですよ。 
「葉っぱが落ちちゃったー」とか言って。 
 
こんなことだと 
かぐや姫もダメ、 
赤ずきんもダメ、 
あれもダメ、これもダメ 
ってことになりかねない。 
 
そこで 
もう一度 
自分も加わり 
桃太郎っす。 
 
「いいか桃が割れても気にすんな」 
ってなもんで。 
 
ある意味「押し付け」もいいところですがね。 
 
ま、でも 
よく見たら 
図書館から借りてきた 
その桃太郎の絵本は 
ちょっとバージョン的に 
絵にかわいさがないっつーか 
ファンシーさ加減に物足りなさが残るっつーか 
あ、これじゃ、泣いても仕方ないか 
みたいなシロモノでしたよ。 
 
いわゆる取り越し苦労だったのかも。 
 
きょうは 
喜色満面で 
お話を聞いてましたよ。 

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